ベルソワンは1982年頃に母が始めたエステを娘が受け継ぎ、現在も親子2人で営んでいるサロンです。
施術を担当している私たちエステティシャンをご紹介いたします。
日隈 裕子 (ひのくま ゆうこ)
美容室の一角で母が開業
我が家は祖父の代から横浜市内を中心に、美容室を数店舗経営していました。
そんな中、「何かお店の手助けになれば・・・」と本店の1角で母がエステを始めたのがこのサロンの始まりです。
当時は、今のようにエステというものが一般的にはなっておらず、ごくごく一部の方が利用されるぜいたく品であったようです。
父親の美容室の名前が「ベルバーグ」。
フランス語で ベル=美しい バーグ=波 という意味です。
この“ベル”をもらい、手入れを意味する“ソワン”と組み合わせて、母は自分のサービスに「ベルソワン」と名付けました。
この時私はまだ中学生。学校が終わっては、電車を途中下車し、サロンによって、仕事終わりの父母を待って自宅へ帰るという生活をしていました。
ですから、日頃から、父や母のお客様にもお会いするという機会がよくありました。
短期留学で人生を見つめ直す
実は美容系一家で育った私。
物心ついた頃から両親の仕事を身近に見ていたこともあり、美容にはとても興味ありました。今サロンの商材として使っているオルラーヌを利用し始めたのもこの頃からです。
学生の頃から、こんな高級化粧品を使うとは、今思えばなんとも贅沢なことをしていました。趣味のように、暇さえあれば、百貨店の化粧品売り場を歩いてまわっていたものです。
しかし、この時点では、自分自身が美容系のお仕事をすることはあまり考えていませんでした。絶対これになる!!という夢もなく、とりあえず大学は出て、父親が経営者だから経営を学んでおこうと、その程度の気持ちで進学し、就職。
その後、スコットランドに3ヶ月の短期留学をする機会があり、そこで、大きな志と夢を持ち、自身の人生を謳歌する外国人の友人らと出会い、自分の仕事に疑問を持ち始めます。
「今の仕事は本当に自分がやりたいことなのか、そしてこれからもずっとやり続けられるのか・・・」
その疑問は帰国後もずっと頭から離れず私は、転職しようと決意しました。
会社員時代
とはいえ、“自分の人生をかけてこの仕事をやりたい”という職業はそう簡単に見つかるはずもなく、まずはまったく違う業界に転職しました。
この会社は、アメリカ・ヨーロッパの一流大学院へのMBA、ph.D law スクールなどへの出願準備の手伝い、カウンセリング、企業内人材育成コーチングを行っている会社でした。
外国人7、8名、日本人スタッフ4名という小さい会社でしたが、顧客は、日本を代表する有名企業や、省庁等トップエリートたち。
これらのお客様サポート業務を始め、クレーム処理や経理に至るまで運営全般に関わらせていただきました。
お客様が見事、ご自身の夢を叶えていく姿を見たり、感謝の言葉をいただくことを続けているうちに、このお仕事を通じて目標を持って励む方々をサポートすることの喜びを感じるようになりました。
「もっと直接的に、お客様の役に立ちたい・・・」
しかし、私自身はそんなエリートたちのカウンセリングができるような能力も経験もなく、この会社で任せてもらえるのは現在の仕事内容で限界だと悟り、自分の無力さを感じるようになっていました。
身近にいた憧れの存在
そんなときふと目の前を見ると、私が理想とする「お客様との距離感」で働いている女性がいました。
母です。
母は、お客様から信頼や感謝をいただき、多くの方々と長いお付き合いをさせていただいていました。
その方の人生の節目節目を見守り、ときには家族にも言えないような相談を受けたり、お客様の方が気を遣ってくださったり・・・
「体が動く限り、一生あなたのところに通うわよ。」
そんな風に言って、実際に今でも30年以上通ってくださっているお客様もいらっしゃいます。
また、母の姿に影響を受けたあるCAさんが、仕事を辞めてエステティシャンになったという出来事もありました。
母と出会ったことで、人生が大きく変わったのです。
エステティシャンというお仕事を通じて、お客様の人生に寄り添い、他に代わりのいない存在になっている母を、私はとても羨ましく思いました。
エステの施術はフェイシャルであれば短くても1.5時間。ボディともなれば当サロンでは、3時間以上もの間、小さな空間にエステティシャンとお客様2人だけの時間を共有します。世の中には色々な職業がありますが、これほど密接にお客様と関われるお仕事はそうそうありません。
私はあらためて、「エステティシャンってすごく素敵な職業だな」と感じました。
「私も母のように働きたい。」
美容の世界に飛び込むことを決意
こうして、働きながら通信教育でエステ スクールに通い、日本エステティック協会の認定資格を取得。
その後、エステティシャンとして転職し、広尾のアロマ専門サロン、外資系化粧品メーカの直営サロン等に勤務しました。
女性だらけの独特の世界で、当初は人間関係に戸惑うこともありましたが、エステティシャンとしてのお仕事は、やりがいもあり、学ぶことも無限にあり、生涯を通して携わりたい強く思うように。
しかし、経験をすればするほど、生涯この仕事をしていきたいと強く思えば思うほどに、雇われのエステティシャンという立場でいることの限界を感じました。
いつか、必ず母と二人でエステサロンをやろう!!(厳密に言えば、母は一人でベルソワンを経営していたのですが。)
そう思うようになったのは、必然だったように思います。
その後、夫の転勤に伴い大阪に引っ越すことになるのですが、エステティシャンとしての自分のテクニックをもっと磨きたいという気持ちから、関西の有名サロン鼎(かなえ)にて鼎メソッドを修得しました。
5年の大阪滞在を終え、2014年、再び横浜に戻ったのを機に念願だった母とのサロン運営を実現させることができました。
ベルソワンのお約束
お店を運営する立場になったことで、お客様への感謝の気持ちはますます強くなりました。
ベルソワンを選んでくださること、母や私を信頼してくださること、家族や友人が私たちを応援してくれること。
こんな風に支えてくださるすべての方に感謝の思いを込めて、一つ一つの所作(マッサージ)を大切に行っています。
お客様にとってOnly Oneのサロン、エステティシャンを目指して、お迎えからお帰りになるその時まで、私たちは全神経を目の前のお客様に注ぐことをお約束いたします。
金崎 千恵子 (かねさき ちえこ)
初めまして、金崎千恵子です。
肌の美しい女性は年齢に関係なくそれだけで素晴らしい魅力の持ち主です。肌は内蔵の鏡、心の鏡、環境の鏡といわれています。
肌の美しさとは心身ともに健康であることが必須条件なのです。
生き生きと生きている女性は肌も輝いていると思いませんか?
いつまでもキラキラ輝いて生きていきたい・・・・・
そう願う女性達のお手伝いをすることが私の願いです。
エステティックの源流オルラーヌ(フランス)のエステティシャン資格を取得。日本CIDESCOの会員になりサロン経営を始め、今日まで30年あまり、多くのお客様との出会いがありました。
開業時からのお客様を始め、長年通って下さっているお客様、そしてこれからお会いすることになる新しいお客様と新しいサロンでお会いでき、お手伝いできる事を大変嬉しく思っております。